蘇仲卿教授部落格
蘇仲卿教授部落格
2008
私の中国語習得に大きく関わったのは、二人の日本人教師である。勿論私が台湾語を母語とする事も関わってはいるが。
五歳のころ、しばらく幼稚園代わりに漢学塾に通った経験はあるが,三字経を唄代わりに暗誦した記憶のみが残っている。漢字を覚え、漢文の文脈を習ったわけではない。ただ家では祖母をはじめ、両親とも台湾語しか使えないので、台湾語を喋ることを通して、中文文法に対する感覚的な認知は自然に身についた。
本式に中国文を習ったのは、北四中の漢文の課程においてである。返り点送り仮名をつけて、日本文に直して読むやり方が、課程の正規であったが、学習作業に厳しかった松宮先生は、ノートの整理に加えて、感想文を書かせた。私が生意気にも漢文で感想をノートに書くと、先生は丁寧に添削され、且つ私に棒読みする事を勧められた。これはノートブックを通してのやり取りであったから、同窓の諸兄はご存じない。かくして私はノートを通して松宮先生に正規の漢文を教わった。戦後、所謂「白話文」式中国文の読書力をたやすくマスター出来たのは、松宮先生に仕込まれた棒読みのお陰である。白話文は北京官話の文書体で、正規の漢文との差異は凡そ「助詞」に止まり、それさえ判れば棒読みで通せる。
然しながら、目を通して漢字が認識出来れば、文章の意味は了解できるが、漢字の北京語音が解らなければ、口に出して喋れない。つまり読み書きは出来るが、喋れないから聾唖に等しい。尚、漢字の読み方は、同じ音声でも抑揚を変えることで違う字を表すことも多く、正確に喋る事こそ大難事であるといってよかろう。
北京官話には発音を表す音標文字がある。終戦の年の十月、台北高商の北京語教授(お名前は覚えていない)が吉見女学院の講堂で、北京語夜間学校を開いた。私は財布の底をはたいて、一ヶ月の月謝を払い、北京語音標文字の使用法を習った。音標文字から入門する北京官話の学習は、台湾では戦後教育行政機関で定められた標準語教育法であるが、当時の大陸からやってきた人達には全然なじみの無いものであった。
漢字には古来一字の漢字の発音を二字の漢字で表す、切音法というのがある。上の字の子音と下の字の母音をとるのである。この方法によれば、台湾語音に基づいて別の台湾語音を合成する事になり、一つの語音の中の堂堂周りで、漢字の異なる発音に基づいた別の方言の習得には全然役に立たない。その点、北京語音標文字は北京語の発音そのものずばりで、その後の私は音標文字を使って発音を示している辞書を使って独学できた。そして現在では音標文字を使ったパソコン入力法で、北京語文を綴ることが出来る。戦後中国事情に甚だ疎かった私が、闇雲に飛び込んだ夜間学校で音標文字を習得し得たのは、習った先生が外国語としての北京語を教える経験の深い方であったからだと言えよう。甚だ運が良かった。
蛇足になるが、台湾で音標文字が広く使われる所以について説明したい。民国成立後、北京官話が国語と定められ、漢字の発音を統一する為に音標文字が発明されたが、続く戦乱のために大陸では普及せず、戦後外国に等しい台湾で国語普及の道具として音標文字(注音符号と言う)が使われたのである。
私の中国語習得過程
24 October 2008